連載 つらつらNPノート・4
私の東日本大震災
鈴木 美穂
pp.596
発行日 2011年7月10日
Published Date 2011/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686102107
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3月11日地震発生時,私は千葉の海浜幕張にいた。足元の亀裂から泥水が湧きあふれてくる液状化現象の小さな恐怖を体験し,川崎の自宅まで歩いて帰ろうとしたが結局帰宅難民となり,船橋の避難所で一泊した。避難所のテレビでは津波のことも原発のことも報じていたが,とにかくそのときは自分のことで精いっぱいで,家に帰ることしか頭になく,首都圏の交通情報以外は頭の中を素通りしていった。
翌日昼,まばら運転の電車を乗り継いで何とか家にたどり着くと,やっとテレビから流れている情報を現実のものとして感じられる余裕がでた。メールをチェックするとニューヨークの友人・知人から安否を気遣うメールがたくさん届いていた。アメリカにいる日本人看護師の友人が医療ボランティアで帰国する決意をしたというメールもあった。果たして自分も有給を延長して東北に行くべきか考えたが,自分がそうすることで与えるニューヨークの職場への迷惑や,1995年の震災で神戸にボランティアで行ったときに「本当に必要なところに手を届かせるのは難しい。無駄だったとは思わないけど,上下水道が止まっているところで新聞紙の中に残してきた排泄物の量に見合ったことができたかわからない」と当時感想を残していたと母に説かれ,3月15日ニューヨークに戻った。
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