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Ⅰ.はじめに
認知症の進行に伴って記憶の障害や失認・失行などの中核症状だけでなく,徘徊,突然の興奮,暴言・暴力,不安や睡眠障害などの行動・心理症状が合併するようになると,ケアの実施が困難となることが珍しくない.終末期においても,医療者が届けたいと思う医療やケア,技術が多数あるにもかかわらず,本人に拒絶されてしまうために質の高い医療・ケアの実現が困難となることを多くの医療従事者が経験している.とりわけ,高齢の患者が増えている透析の現場では,認知機能が低下している患者へ安全な透析を行うことが困難になり,身体抑制をせざるをえない状況も生まれている.しかし,このような状況下に「何を,どのように行えばよいのか」を具体的に学ぶ機会は限られており,結果として困難に直面した本人の経験や資質に依存した取り組みを行わざるをえなくなっている.
ユマニチュードは2人のフランス人,GinesteとMarescottiが病院や施設で援助を必要とする人々に行ってきた38年にわたるケア実践の経験から生み出した技術を,「ケアする人とは何か」という哲学のもとに統合させた包括的なケア技法である1,2).この技法は,「ケアを受ける人がもつ能力を奪わない」ことをその理念としている.これは,すなわち「何でも代わりにしてさしあげる」という“一見親切なケア”との決別を意味し,ケアをする人が「ケアを受ける人の能力に応じた正しいレベルのケアを提供しているか」を常に評価し,その評価に基づいたケアを実践することを意味する.ユマニチュードでは,①回復を目指すケア,②現在の機能を維持するケア,③最期まで寄り添うケアと,ケアのレベルを3段階に定めている.
ケアはそれを受ける人の能力に応じてレベルを選択する.たとえば,40秒は何かにつかまって立つことができれば,右下肢や背中など身体の一部の清拭を立って行うことができる.立位で左下肢を拭いたら,次は座位で別の部分を拭くなどの組み合わせによって,寝たままの状態での清拭を防ぐことができる.臥位のままの清拭は一見心地よいケアを提供しているようにみえるが,もし本人が少しでも座位や立位をとることができるのであれば,その能力を奪ってしまっている可能性があることに留意する必要がある.
ケアの「正しいレベル」を緩和ケアの観点から考えるとき,③の最期まで寄り添うケアをゴールとすることはごく当然と思われる.しかし,緩和ケアを世界保健機関の定義に基づいて「死を迎えるまでその人が人生をできる限り積極的に生きて行けるように支える」ものであるととらえれば,たとえ終末期であったとしても,「一方的に何でもしてさしあげる」ケアは,その人の尊厳を保つための援助としてふさわしいとはいえない.「今,この人に必要なケアのゴール」について常に考え,実践することが重要である.
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