CBR eye's
水俣と世田谷—「みなせた」という試み
河本 のぞみ
1
1訪問看護ステーション住吉
pp.202-208
発行日 2016年3月15日
Published Date 2016/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.5003200338
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はじめに
熊本県の水俣と東京都世田谷。このふたつの町を,何が結んでいるか。
水俣から遠く離れて住む者にとっては,この地名を水俣病と引きはがして思い浮かべることはほとんどできない。それゆえに水俣は断固とした存在感のある響きだ。片や,世田谷は他所の土地に住む者には,何らまとまったイメージは与えないだろう。文化や気取りや,お洒落や市民活動や畑が入り混じった,いかにも東京の庶民的なぎりぎり山の手,そして「自立生活」をする重度障害者が珍しくない町だ。
このふたつの地名を冠したゆるいグループがある。水俣世田谷交流実行委員会,通称「みなせた」。彼らは「世田谷で『自分らしい生活』をめざしている障害者と,演劇や介助(ヘルパー)などを通して,障害者との付き合いや生活を模索しようとしている仲間たちの集まり」だ。主に脳性まひの自立生活者と介助者と演劇活動家とたまたまそこにいた人たちが集っている。彼らが「ヤンキー障がい者見参」と称して,水俣に芝居を持って行った話の顛末を書くつもりだが,その前にまずは,水俣のことを知っておく必要がある。
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