連載 水俣からのレイト・レッスン・7【最終回】
水俣学の現在と課題
花田 昌宣
1
1熊本学園大学水俣学研究センター
pp.1098-1102
発行日 2012年12月10日
Published Date 2012/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1664102033
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私と水俣病との関わり
私が水俣を初めて訪問したのは1975年の夏ではなかったかと思う。
1973年3月20日,水俣病裁判で原告が完全勝訴の判決を勝ち取り,チッソの責任が明確にされ損害賠償責任が確定した。いわゆる4大公害訴訟の最後の判決であった。その年の7月9日,原告や自主交渉していた患者たちが合流した東京交渉団の患者とチッソの間で補償協定が締結された。これにより判決で確定した補償金に加えて,年金や医療費,介護などの手当が支給されることになった。そして,この補償協定は,訴訟の原告以外の水俣病患者や,それ以降認定される患者たちにも同様に適用されることとなった。こうした方式は画期的なことであったが,その反面,「認定」をめぐる長いコンフリクトが続く。
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