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現在,大学で教職を務め,整形外科を担当している.しかしながら,そもそも学生時代には整形外科医になどなりたくはなかった.というのも,専門課程での最初の講義は解剖学の骨学で,骨やそのパーツの名前などをすべてラテン語で覚えなければならなかった.小テストに合格してほっとしたのも束の間,今度は筋学が始まり,筋の名前や起始部・付着部・支配神経をひたすら頭に叩き込まなければならなかった.理論や公式を駆使して解を求める数学や物理を得意としていた自分にとって,ただひたすら覚えることを強いられる骨学・筋学はある意味苦行でしかなかった.今から思えば,医師を目指すためには医学の言葉を覚えなければならないのは至極当然のことではあるが,整形外科に対する私のトラウマはすでに深いものとなっていて,臨床系の講義が始まる頃には整形外科医になるという選択肢は完全に消えていた.そのような私が整形外科医を志すようになった転機は,当時の鳥取大学脳神経内科・高橋和郎教授の講義である.高橋教授は患者の病歴と身体所見を詳細におとりになって,得た情報を的確に整理・解釈され,検査をする前に高位診断と最も可能性の高い疾患を提示されていた.そのスマートなアプローチに感銘を受け,神経を扱う医師になりたいと思うようになった.患者とコミュニケーションをとりながら診療を進めることに魅力を感じていたわけだが,脳疾患の一部ではそれが適わないことや,自分の性格からすると外科医に向いているのではないかと感じていたことから,脊椎・脊髄に特化した脊椎外科医を志すようになった.そして,何の因果か当時の整形外科学教室の門を叩くことになったのである.
医師となってから外来での最初の業務は予診であった.先輩方の診察前に問診をしてX線写真などの検査をオーダーするのであるが,当初はとりあえずこなすのが精一杯であった.徐々に要領もよくなって,あまり時間をかけなくても予診をこなすことができるようになると,考察しながら問診をする余裕もできてきて,あとで診察医のカルテを確認して診断が合っていれば,ほくそ笑んだものである.その後,他大学などで行われていたセミナーに参加するようになり,問診や身体所見のとり方などにもさまざまな流儀があることを勉強させてもらって,現在の自分があると感謝している.ところが,私の指導力が乏しいせいか,最近の若手医師はこの予診を単なる下働きとしか受けとっていないようで,考察しながら問診しているようにはうかがえないカルテの記載をよくみる.電子カルテになって,病歴や身体所見,画像所見などを安易にコピペでごまかせる時代に生きていることも原因なのかもしれない.
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