連載 続・歴史と遊ぶ・第3回
奄美大島のハンセン病療養所
江藤 文夫
1
Fumio Eto
1
1国立障害者リハビリテーションセンター
pp.572-577
発行日 2016年6月15日
Published Date 2016/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.5001200596
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学生時代のワンダーフォーゲル
大学に入ると友人も増えるが,夏休みになるとサークルの合宿等とは別に,1人で旅をして周ることを好んだ(図1,2).小学校5,6年生のときの担任K先生の影響は大で,中学,高校と毎夏休みにはK先生の教え子たちが集まるキャンプに参加した.テントの設営から,花を摘んだり雉を撃ったりする場所(トイレ)の準備等も仕込まれた.そのおかげで,単身旅行ではテントを張ることはせず,宿舎(多くはユースホステルや国民宿舎)が取れない場合にはビバーク気取りで野宿することも度々あった.伯父から,身体に悪いから野宿はやめるように言われたが,それなりに無理なことはしなかった.
中国地方の山間のある都市では,城址公園のある小山で,雲の流れで見え隠れする月を見ながら眠りについたところ,雨で目を覚ました.深夜1時ころだった.寝袋をたたみ,ずぶぬれになりながら駅までたどり着き,夜行列車に乗り込んで衣服を乾かした.最近の鉄道事情は知らないが,当時は周遊券を所持すると急行列車に自由に乗車でき,時刻表を研究すると,深夜2時過ぎでも上り下りの夜行列車を指定区域内で利用して,夜を明かすことが可能だった.
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