視点
ハンセン病の歴史に学ぶ
牧野 正直
1,2,3,4
1国立療養所邑久光明園
2医療法人愛命会泉原病院
3淑徳大学
4NPO「アジアのハンセン病を考える会」
pp.898-899
発行日 2010年11月15日
Published Date 2010/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401101949
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私は,1975年大阪大学微生物病研究所(以下微研)で大学院を終了したが,当時であっても阪大などでは,たとえ大学院を出ても卒後すぐに助手(現在の助教)に採用されるのは難しい時代であった.幸いにして当時微研にあった癩部門の助手の席が空き,私は故伊藤利根太郎教授のお誘いを受け,1年後の1976年4月,晴れて助手(国家公務員)に採用され,ここで初めてハンセン病患者と出会った.それから34年余,“らい菌”と“ハンセン病”との付き合いである.
その間,国立ハンセン病療養所邑久光明園の園長を15年間勤めたが,この時,厚労省の「らい予防法見直し検討委員」として法の廃止に取り組むことや,「ハンセン病国賠訴訟」にも関わることができ,さらには裁判後の「ハンセン病問題の歴史的検討委員」も経験できた.すなわち常にハンセン病問題の中心に在り続けることができたのである.そのこともあって,2010年5月,岡山市を中心として「第6回ハンセン病市民学会in瀬戸内」が開催され,私が実行委員長の重責を負った.
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