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はじめに
近年,ハンセン病者の家族に対する補償の問題が報じられてきたが,医療関係者においても関心は乏しいように感じる.絶対隔離政策が“奏功”して,結核に比べると実際に患者と接する機会が少なかった歴史的背景も影響していることだろう.ハンセン病への根強い偏見の創出にはマスメディアが重大な役割を果たした.この点が歴史的に結核への偏見とは大きく異なることである.今日的にもマスメディアの偏向報道は要注意であり,情報革命の進展中において,あらためて各自が情報を広く検索する習慣を身につける必要がある.1996年(平成8年)に「らい予防法」が廃止されて以降,膨大な量の文献が生まれ続けている.患者団体による法改正,あるいは廃止を求める運動が活発化した昭和30年代に,ハンセン病者の処遇を巡って「社会復帰」や「リハビリテーション」の言葉がしばしば登場していた.歴史の事実は変わらないはずであるが,事実の選択,配列,およびその解釈と解説の読み方は読者の責任である.
そこで,個人的な思い出に発して,数回に分けてハンセン病者の処遇の歴史について考えてみたい.すでに本誌での連載「続・歴史と遊ぶ」においては,筆者の中学生時代の想い出に関連して,キリスト教カトリックの神父と修道女により開設,運営された熊本のハンセン病者のための施設1),大学生時代の夏休みに滞在した奄美和光園というハンセン病療養所2),英国遊学中に訪ねた温泉都市バースの伝説におけるハンセン病3)等について紹介した.なお本稿では,疾患の呼称について,歴史的背景を反映させるため,ハンセン病に加えて癩病,らい病,ライ病,レプラといったかつての表記も使用することをご了解いただきたい.
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