連載 続・歴史と遊ぶ・第4回
七沢理学診療病院でのクラークシップ
江藤 文夫
1
Fumio Eto
1
1国立障害者リハビリテーションセンター
pp.688-693
発行日 2016年7月15日
Published Date 2016/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.5001200625
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大学紛争と東大闘争
1970年前後に世界規模で生じた大学紛争,あるいは国家政策的に文化革命として誘導された大規模な中国大陸での紅衛兵運動では,広範囲の青少年が直接,間接に巻き込まれた.日本でも私の母校も含め高等学校へ紛争が拡大した.この影響で,2015年(平成27年)に至るまで,高校生の政治活動が規制されることとなった.こうした青少年の異議申し立て行動は偶発的なものであろうか.当時,個人的には闘う意識は乏しかったが,「攻防」を意識して活動した学生は少なくなかったと思える.そこで,東京大学の学生による長期間の授業ボイコット(ストライキ)および関連した活動を,学生の側から東大闘争と呼ぶことが適当であろう.
私は高校時代に第2外国語としてドイツ語を選択し,90%以上の学生が途中で放棄したにもかかわらず,1年間授業への出席を貫徹した.教材の関係からか,19世紀のドイツの学生生活へ関心を抱き,19世紀初めに学生が結社を結成して,反体制活動を展開したという漠然とした知識をもっていた.相当に的外れの思い込みかもしれないが,かつて日本の学生たちが寮で大暴れすることを呼んだ「ストーム」という言葉をドイツ語の‘Sturm und Drang’(嵐と衝動)から連想した.それは18世紀後半にドイツで生じた文芸運動で,理性より感情の優位が主張され,ロマン主義へと展開した.19世紀の学生運動にも連なるように思われ,さらには現代にも及んでいるかもしれない.
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