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本書は自立生活を目指した重度の身体障害をもつ人々6人とその介護にあたる人々との交流の物語である.自記,他記を問わず,身体障害者の生き様を描いた本は少なくない.しかし本書のように,本人とその介護者との交流そのものに焦点を当てたドキュメントはあまり見当たらない.自立生活をするかどうかは別として,重度の身体障害をもつ人々が,生きていくためには,介護者の存在は不可欠である.しかし家族といえども,障害者本人と介護者はそれぞれは異なる意志と感性をもつ独立した人間である.どちらか一方が過剰に我慢を強いられるならば,両者の関係が続くとは思われない.そこに主張と妥協のさじ加減,相手の心づもりを推測し,思いやる想像力,共にうまくやるためのコツや知恵を学ぶ余地が生まれる.介護は,起居動作から,食事やトイレ,話し相手,外出の援助まで,多岐にわたると同時に長時間に及ぶ.本書の登場人物たちは,この関係を20年,30年と続けている.そこに,時に壮絶なバトルがあり,痛みの伴う悔悟や反省,お互いのかけがえのなさを発見する慰めの瞬間があったことと思われる.著者は,そのタイトルに『奏であう いのち』とつけている.このやりとりが,コミュニケーションなどというレベルをはるかに通り抜けて,もういのちのやりとりのレベルであるといいたいのであろうか.
個人の人権ということに気づき,その実現が人間の幸せに通じると考えたのが,近代という時代である.そしてフランスの三色旗が象徴するように,「自由,平等,友愛」がその実現すべき理念であった.その対象は,ここ200年で一般市民から貧困者,子ども,女性,人種的マイノリティへと広がり,今,障害者の人権に焦点が当てられている.障害者の人権運動は,この近代国家の理念の延長線上にあるものといってよい.「平等」を絶対的な価値とした社会の実現を試みたかたちが共産主義である.一方,「自由」を極端に推し進めるものが資本主義である.しかし歴史的には前者が100年足らずで破綻し,後者が本質的に社会格差を生む構造を宿すものであることをわれわれは知っている.どうも「平等」と「自由」の主張のみでは,安寧な社会の実現はおぼつかないようである.「平等」と「自由」はともに権利として要求され得る概念である.不思議なのは第三番目の「友愛」である.これは要求するもの,受け取るものというよりは,実行するもの,与えるものである.おもしろいのは,この「友愛」に支えられることによって,「平等」と「自由」もともに機能しはじめる点である.
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