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■臨床の視点
▲帝王切開手術では本当に区域麻酔のほうが母体にとって安全なのだろうか?
われわれ麻酔科医は「帝王切開術(cesarean section:CS)には全身麻酔(general anesthesia:GA)より区域麻酔(regional anesthesia:RA)のほうが安全」と信じ,CSにはなるべくGAを避けるようにしている。若手麻酔科医にその理由を聞くと,妊婦は挿管困難リスク,誤嚥・窒息リスクが高いなどと答えるが,ではその根拠は?と聞くと,ガイドラインがあったような…と答え,ではそのガイドラインの根拠は?と聞いてみると,そこまではちょっと…となる。米国麻酔科学会のガイドライン1)では,「ほとんどの症例でRAを選択せよ」とされているが,その根拠は専門家へのアンケート結果をもとにしたエキスパートオピニオンである。英国国立医療技術評価機構のガイドライン2)では,前置胎盤症例を含め母児の安全面からRAが推奨されている。その根拠としているのは数件のランダム化比較試験(RCT)などであるが,限られたサンプル数のなかで出血量や輸血の実施を転帰にした研究であり,麻酔法と母体死亡との関連は不明である。
「CSはできるだけRAで」という流れを決定的にしたのは,1997年のHawkinsらによる報告3)であったと考えられる。これによると,1985〜90年の米国におけるCSのRAに対するGAの麻酔関連母体死亡のリスク比が16.7(95%信頼区間12.9〜21.8)で,GAでの麻酔関連母体死亡の原因は主に気道関連合併症であったとされた。その後の同氏らの報告4)で,1997〜2002年ではリスク比が1.7(95%信頼区間0.6〜4.6)と劇的に減少し有意差がなくなったことが報告されたものの,その後もRAが推奨される状況は変わっていない。これらの報告の十数年間でのリスク比の減少は,主にGAの安全性の向上によるものであり,GAの気道関連リスクの認識,麻酔薬・モニタ機器や人工呼吸器の改善などが寄与していると考えられる。ここからさらに十数年経過した現在,さらなるモニタ機器や麻酔薬の改善,DAM(difficult airway management)アルゴリズムの整備5),声門上器具やビデオ喉頭鏡の開発などにより,GAの安全性はより向上していると考えられる。また麻酔管理の質とは別に,妊婦の高齢化,合併症をもつハイリスク妊婦の増加により,妊婦の母集団の性質が急速に変化しつつある。このような“麻酔管理の質の向上”と“母集団の質の変化”により,GAとRAの安全性が同等か,むしろ逆転していてもおかしくはない。
麻酔科医なら誰しも,RAで管理していたCS症例が思わぬ大出血を起こし,術者も看護師もドタバタする混乱のなか気管挿管し,動脈ラインや静脈ラインを追加するという操作を余儀なくされ冷や汗をかいた経験を1度はしていると思う。このようなとき,「最初からGAにしていれば全身管理は容易であった」と思うこともあるだろう。このような症例はまれであるが,その蓄積がきわめてまれな母体死亡の発生につながると考えると,もしGAの安全性が高くなっているのなら,もう少しGAの選択条件を緩めてよいのではないかとも考えられる。また,あるRCTでは,GAを受けた妊婦のほうが次も同じ麻酔法を希望する割合が高かったとされ,もしGAとRAの安全性が同等であるなら,患者満足度の面から妊婦の希望で麻酔法選択をしてもよいとも考えられる6)。
このような状況から,「現在においてもCSにはGAよりRAのほうが母体安全性が高いのか確かめてみたい」と考えた。
研究を進めるうえで重要なのは,GAとRA,どちらが母体にとって安全であるのかについて,いまだに科学的根拠が得られていない理由である。その理由としては,(1)倫理的観点からRCTの適用が困難,(2)麻酔法の適応による交絡のため観察研究ではGA vs. RAの単純比較ができない,(3)母体死亡率が非常に低いため研究デザインが難しい,などが挙げられ,これらの障壁を乗り越えて麻酔法と母体転帰の関連を評価することが研究を成立させるための鍵となる。(1)に関しては「CSでは母体にとってRAのほうが安全」というすでに広く浸透した強力なエキスパートオピニオン1)が存在すること,母児の命がかかることから,RCTは倫理的に不可能に近い6)。この問題を避けるため,筆者ら7)は入院DPCデータベースを利用した後向き観察研究を採用した。しかし観察研究では,(2)のような「重症妊婦ほどGAの対象となりやすい」という麻酔法の適応による交絡のため,GA vs. RAの転帰の単純比較ができないという問題が生じる。この交絡の問題に対して,本研究では傾向スコア分析8)(後述)という統計手法を採用した。(3)に関しては,日本の母体死亡率は妊婦10万人あたり4件前後と非常に低く,母体死亡を転帰とすると膨大なサンプル数を誇るDPCデータベースをもってしても統計解析が困難である。これに対しては,母体死亡の代替転帰として母体重症合併症を採用するなどの工夫をした。
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