連載
萱間真美の「この2か月」+「働きママン」・9
萱間 真美
1
1聖路加看護大学精神看護学
pp.104-110
発行日 2011年7月15日
Published Date 2011/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1689100898
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C市心のケアチームでの1週間
A病院からの電話
震災直後、私たちは日本看護協会と病院・地域精神医学会から、東日本大震災の被災地への支援に行ける人のリストを提出するよう依頼を受けた。研究室のスタッフ、院生、卒業生のなかから6名がFAXで連絡先などを登録した。私自身は被災地に出向くことは周囲から止められていた。仕事の詰まり方と、3月末に初めて喘息を発症したことが大きかったと思う。登録すると、個人に直接依頼の連絡が来る。
4月に入ったばかりのある日、スタッフがやや青ざめて私の部屋に入ってきた。「支援の依頼がA病院からありました。B県だそうです。実は家族に無断で登録したので、どうなるかわかりません」。このスタッフは家族を持ってまだ間もない。地震や放射能災害に対する感受性は人それぞれで、強い恐怖を感じている人もいる。支援をめぐって家族の認識の違いが表面化し、もし家族がぎくしゃくすることになったら大変である。かといって、依頼に協力できない事態も避けたい。支援の日程は4月21日から27日の7日間で、私のスケジュールをふと見ると、外の仕事を2つ、授業を1つ移動させれば空けられることがわかった。これは行けということではないか。「私が行くから、40歳以上でも大丈夫ですかって聞いて」。
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