連載 当事者研究・26
「人格障害」の研究―その1
西坂 自然
1
1しあわせ研究所人格障害系研究チーム
pp.115-119
発行日 2006年7月1日
Published Date 2006/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1689100292
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1. はじめに
医療で解決するとは自分でも思っていなかった
私のような「人格障害系」とされる行動パターンをもつ人は、医療にとっては「治しにくい」と思われる対象のようである。薬が効かない、どういった病気なのかが判然としない、トラブルを起こすので対応しにくい、医療者が感情的に巻き込まれてしまうなどがその理由となっているようだ。
そもそも人格障害は精神科医療の対象になるのか、病気としていいものなのかと考える人もいる。私は精神科にかかった当初、病名をつけてもらうことができなかった。5年くらい経って症状が落ち着いた頃に、主治医から「“人格障害”という病名をつけると他の医療者が治療を進めようとしなくなる。だから来院時はあえて病名をつけなかった」と言われた。
私はその頃、自分のさまざまなトラブル行動の原動力となっているのは、「淋しさ」や「自分の居場所がない虚しさ」だと感じていた。しかし、それらを医療の力で解決できるとは期待していなかったように思う。私は強迫などの症状があったから精神科に行ったが、それからも長い間トラブル行動を繰り返し、「淋しさ」と「この世のどこにも居場所がないと感じるつらさ」をもて余しながら生きてきた。どうすれば自分の「淋しさ」が埋まるのかがわからず、私はずっと途方に暮れていた。つらさが蓄積するたびに迷惑行動を起こし逃避を続けてきたのだが、それは一時的なものに過ぎないことは自分でもうっすらとわかっていた。
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