連載 かれんと
「境界線」を生きる
出雲 雅志
1
1松山大学経済学部
pp.795
発行日 1997年11月10日
Published Date 1997/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686900570
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セルビア人とクロアチア人の新婚カップルを通して,ユーゴスラビアでの民族対立の悲劇を描いた映画『ブコバルに手紙は届かない』を見た時,フィリップ・リオレ脚本・監督の『パリ空港の人々』に思いはつながった.これは,ほとんど空港だけが舞台の,おかしくて哀しい,ちょっと変わった映画である.
初老の主人公は,モントリオールからパリに向かう飛行機を待つ間にパスポートや財布,鞄から靴まですっかり盗まれる.残されたのはパリ空港で待つ妻へのプレゼントと搭乗券だけ.なんとかパリにはたどり着くものの,フランスとカナダの二重国籍をもち,スペイン人の妻とローマに暮らすこの男は,自分が何者であるかを証明できない.そのため空港内のトランジット・ゾーンに足止めをくうが,そこで男は空港で暮らす奇妙な人々に出会う.同じように「処分」を待ち,何か月も「留置」されている人々―軍事政権から国籍を剥奪された女性や,「不法」滞在の労働者を父にもつ男の子など―が,そこにいたのである.このトランジット・ゾーンは,パリなのにパリではなく,出国と入国のはざまにある不思議な空間,つまり「境界線」なのだ.
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