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はじめに
1952年,ハーシーとチェイスがウイルスを使って行なった実験により,遺伝子の正体がDNAであることが決定的に証明された時,世界中の科学者たちは驚きを隠すことができませんでした。それ以前は,たんぱく質が遺伝子の正体ではないかという説があり,DNA説を唱える実験には批判的な見解が付いてまわったようです。たんぱく質を構成するアミノ酸には20種類ありますが,DNAを構成するヌクレオチドは4種類しかありません。たんぱく質のほうがより複雑な分子を構成していることから,複雑な生命現象をコントロールするのにふさわしいと考えられていたのです。DNAは,分子量が大きいとはいえ,化学的にはありふれた単純な有機化合物であり,そのような単純な物質が生命のように複雑な過程をコントロールしているとは考えにくかったのです。これは,今からたった50年ほど前の話です。
しかし,このDNAの単純な構造は生命科学の進歩には願ってもないことでした。DNAの長い鎖を特定の場所で切断したり,また元通りにつなぎ合わせたりすることが,試験管のなかで簡単にできるからです。DNAとたんぱく質合成の仕組みは,地球上の全生命に共通しているので,特定の遺伝子DNAを染色体DNAから切り取り,それを他の生物の染色体DNAに組み込むというDNA組み換えが生物種を越えて可能となり,遺伝子組み換え技術として確立しました。遺伝子の正体が判明してから,たった20年しか経っていない時に,もうヒトの遺伝子を大腸菌に組み込み,ヒトホルモンを生産させることが可能になっていたのです。
このような遺伝子組み換え技術のモデルを提供してくれたのが,実は,ウイルスの存在なのです。ウイルスが細胞に感染して自己の遺伝子を宿主のDNAに挿入し,自己の複製に必要なたんぱく質をつくらせるのと基本的に同じ原理です。この技術が確立すると,それまで治療に必要なホルモンや微量活性物質を,ヒトや動物の体内から精製していた分野でこの手法が取り入れられるようになりました。今までの方法では,生産できる量に限界があったり,強い副作用があったりしましたが,遺伝子組み換え技術を使えば,そうした限界を克服できる可能性があるからです。糖尿病の薬であるインスリン(たんぱく質の一種)は,はじめ豚から精製し,酵素を用いてヒト型に変換して使用されていました。しかし,遺伝子組み換え技術が確立してからは,これを大腸菌や酵母を用いて生産するようになり,遺伝子組み換え医薬品として生産されるようになりました。インスリンのパッケージをみれば,遺伝子組み換え技術を使った製品であることが書かれているのではないでしょうか。
それでは,遺伝子組み換え技術のモデルとなったウイルスについて話を進めましょう。前回は,宿主の染色体DNAに組み込まれたプロウイルスDNAを鋳型にして,2種類のRNA(ウイルスRNAとメッセンジャーRNA)が大量に合成されるまでを説明しました。今回は,メッセンジャーRNA(mRNA)の情報をもとにしてたんぱく質が合成される過程を説明します。この過程は,ウイルスが自己のたんぱく質を大量合成させる過程でもあるのですが,まず最初に合成の仕組みを一般的に説明し,そのあとでウイルスの場合についてHIVを例にして詳しく説明します。
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