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はじめに
へその緒について思考をめぐらすようになったのは,次のような経緯がきっかけだった。事故(ヒヤリハット)として「へその緒の紛失」が報告されているが,どう思うかと問われ,私はヒヤリハットとして扱うべきことかどうかを考えた。そして,「へその緒を渡すことを約束していたのであれば,紛失したことは約束が守れなかったことなので事故であり,そのことに対して誠実に事情を話し謝るべきである。しかし,へその緒を紛失したことによって母子に危害が加わらないのであれば,ヒヤリハットというよりも倫理的問題の範疇ではないか」と回答した。その後,解決がついたという連絡が入ったのだが,それは「分娩室で臍帯の一部を切り取り,その場で渡す」であった。回答の視点がずれていたことにも,その方法にも驚いた。なぜなら,へその緒としてとっておくのは新生児の臍に付いていたものと信じ込んでいたからであり,そう信じていたのは中学生時代に母が話してくれたことが記憶されていたからだと思う。
私はそもそも,方針としてへその緒を渡している施設で勤務したことがない。助産業務に従事していたのは終戦直後に米国の基金で設立された病院で,そこでは希望する母親にのみ,新生児側の看護者が薬包紙に包んで渡していた。その後のNICU勤務においても同様の扱いで,へその緒の紛失が病棟で問題になることはなかった。しかしながら看護学生時代(昭和40年代)にまで遡ると,へその緒紛失事件に遭遇したことがある。“事件”と敢えていうのは,対応策が摩訶不思議だったからである。紛失したへその緒の代わりに,胎盤に付いている臍帯を切り取って乾燥させていたのであるが,それをいくつも作るのである。聞くと,当時の常套手段で,紛失に備えて作り置きしておくということだった。
このようなことが,臍帯のDNA鑑定が可能な今日で許されるはずはなく,そうなると,やはり,「分娩室で臍帯の一部を切り取り,その場で渡す」ということに落ち着いてしまうのだろうか。今回は3人の母親の体験を通して,医療現場でへその緒を扱うことの意味について考えてみた。
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