特集 「ナラティヴ」を読む
迷ってみることから始めてみませんか―「助産師として立ち止まって」を読んで
岡部 恵子
1
1山梨県立看護大学
pp.810-815
発行日 2003年10月1日
Published Date 2003/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665100602
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「ナラティヴ」ということ,「語り」ということ
『助産雑誌』の本年4号では,「周産期のナラティヴ――助産師の語りの世界から」という特集が組まれました。そして,今回,私への原稿依頼は「ナラティヴを読む」として,4号のうち,大和田智子さんのお書きになった「助産師として立ち止まって」を読んで思うところを述べるようにとのことでした。書き手の方のご承諾を頂いているとのことでございますから,誌上討論会のつもりで自由に書いてみようと思います。
まず,私は,大和田さんのお書きになった物語について記すために,「ナラティヴ」とはなんぞやということをしっかりと押さえねばならないと思いました。4号において,特集を組む意味を,企画者は「臨床は多くの“語り”に満ちています。助産の領域でもこのことに変わりありません。(中略)ケアの一環としてのナラティヴは,同時に,ケアをする側である助産師にも新たな“物語”を生み出します。そして,その「物語」を助産師自身が語り,自己のなかに意味づけがされたとき,それは助産師としてのあり方やケアに対する姿勢にまで影響されるような豊かな体験として各人のなかに刻まれていきます」としています。助産師自身が自己の体験を語ることで助産師としての自己成長の機会をもとうということが目的なのかと思えます。決して「助産師として演説するのでもなければ,他人事として伝えよう」というのではなく,誌上で助産師として「自己の体験を語ってみてほしい」のが目的だと解釈できます。
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