特集 「ナラティヴ」を読む
対象の“力”を信じる“力”―「出会いから得たもの――産む力,生まれる力に寄り添って」を読んで
石田 登喜子
1
1福島県立医科大学看護学部
pp.816-821
発行日 2003年10月1日
Published Date 2003/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665100603
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はじめに
『助産雑誌』57巻4号の特集,「周産期のナラティヴ――助産師の語りの世界から」を読んで,私は助産師の語りが持つ“重み”を感じずにはいられませんでした。「語る」ということは,自分の本心や感性を,直に読者(聞き手)に向けて,開示する(さらけ出す)ことに他なりません。この特集でも,それぞれの助産師が臨床で経験した事例を自分の言葉で表現しています。実を言えば,この特集を最初に読んだ私は,そのようにして発せられたメッセージの1つひとつを受け止めることだけで,精一杯の状況でした。
そんななかで,今回,増永啓子さんが綴った「出会いから得たもの――産む力,生まれる力に寄り添って」を読んで,思うこと,感じたことを述べさせていただくこととなりました。増永さんの物語を読み返してみて,私はあらためて,臨床で働く助産師が“人とかかわる”ということがどのようなことであるのか,また,助産という仕事がどういったものであるのかを考えさせられています。増永さんの物語は,人とかかわることの素晴らしさとともに,助産という仕事の難しさをも,浮き彫りにしています。本稿では,増永さんの物語をとおして,私が「助産」「ケア」について,思うこと,感じることについて述べ,助産師が「語る」ということの意味を考えてみたいと思います。
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