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英語で書かれた医学の教科書や論文などでは,“may”や“might”って言葉をよく見掛けます。ま,そう書くしか仕方ないよな~って事象やわからないことが医学には多いからです。けれど,最近,聴いた言葉で耳が痛かったものに,次のものがあります。“Of all the words of tongue or pen, the saddest are these…it might have been.”〔John Greenleaf Whittier(US poet and abolitionist, 1807~1892)〕。その意味するところは,「口にしたり文字にしたりするあらゆる言葉の中で最も嘆かわしいのは,これだ…『だったかもしれない』。」(NHKラジオ『実践ビジネス英語』2009年5月21日放送の“Quote…Unquote”より)。みなさん,なかなか痛い言葉ではないですか?
「ああすれば,よかった…かな?」,「こうすれば,よかった…かな?」。こういう想い・反省・指摘・指導などは,治療の時間軸が短く,究極の判断を求められることの多いICUという場面設定ではよくある話です。うまく行かなかったとき,思いがけない展開となってしまったとき…。けれど,医学は“may”や“might”で成り立っていることのほうが多いってことは,知っておいて損はありません。むしろ,“may”や“might”っていう「反省」や「ためらい」の気持ちがあることのほうが,安全ですし,医者修行していくうえで,その進歩を約束してくれるものと思います。今回は,こうした「かもしれない」し,「そうじゃないかもしれない」という「疑う気持ち」を持つことの大切さについて,関係する「かもしれない」こと,少し触れてみます。
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