特集 障害のある子どもの母親を支える
そのとき私に何が起こり,私は何を願っていたか―AさんとBさんが語ってくれたこと
阿部 真理子
1
1ぐるーぷ・きりん
pp.199-203
発行日 2006年3月1日
Published Date 2006/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665100060
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はじめに
1990年代,私は産む側の声を掘り起こして世間に伝える自主グループの活動1)をしていたが,出口のみつからない産む人の沈黙ということを,いつも考えずにいられなかった。
出産の場には,私たちが一口で表現するのが難しい問題がたくさんあるのだ。
この活動が縁で茨城県立医療大学の研究プロジェクト2)に加えていただき,2002年から2003年にかけ,茨城県内で過去5年以内に出産した43人に,インタビューでその出産体験を詳細に聞くことができた。多くは赤ん坊やヨチヨチ歩きの幼子をもつ人たちで,すでに子どもの手が離れつつある私は,一対一で向かい合って,しばしば彼女たちの存在感に圧倒された。腕のなかの小さな生命を引き受け,なんとしても守り抜こうとする気迫。この時期の女性は意識するしないにかかわらず,子どもとの濃密な一体感のなかにある。
病院分娩が大半を占める現在,出産体験は,大なり小なりその人が出会う医療との相互作用によって形作られる。そして注意深く耳を傾けていると,現場で彼女たちが,医療者とのコミュニケーションが思うようにいかない場面に数多くぶつかっていることを知る3)。場所が医療施設,相手が医療の専門家,ことが病理ではなく妊娠・出産・産褥ということになると,両者のやり取りは奇妙なほどかみ合っていない。産む側は困惑と混乱を呑み込んで赤ん坊を抱く。医療現場は非常に特殊な空間であると言える4)。
興味深いのは,そこで体験された医療者とのかかわりの難しさが,産む人の不全感に深くつながって見えることである。
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