連載 社会思想史の旅・13
レーニンとロシア革命
田村 秀夫
1
1中央大学経済学部
pp.37-41
発行日 1969年11月1日
Published Date 1969/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908921
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
モスクワの「赤い広場」
ヨーロッパの数多くの広場のなかで,もっとも有名なクラースナヤ・プロシチャジ(赤い広場)—クラースヌイというロシア語は,「美しい」という意味もある—は,クレムリンの壁の前に,北を聖ヴァシーリー寺院の9箇の尖塔をつけたカラーフルな建物に,南は国立歴史博物館の赤煉瓦建築に,そして西をグム百貨店に囲まれた,面積7万3千平方メートルの長方形の広場で,茶褐色の敷石をしきつめている。内外の観光客で賑わっているこの広場は,さながら人種の見本市のようにもみえる。
この広場はロシアの歴史の重要事件の舞台であった。タタール人やポーランド人との戦闘が行なわれたのもこの広場であり,1612年のポーランド人の侵入を防いだミーニンとポジャルスキーの記念像が聖ヴァシーリー寺院の前に立っており,その近くの石の柵で囲まれた処刑場の跡では,1671年に,ロシア民謡で有名な農民一揆の指導者ステパン・ラージンが処刑された。ナポレオン軍との闘いも,この広場で行なわれたし,世界最初の社会主義革命である「10月革命」(ロシア暦では10月にあたる)でも,ここはモスクワにおける戦闘の中心となった。1917年11月2日,クレムリンを占領していた士官候補生とソヴェト軍との激戦ののち,砲弾はクレムリンのスパススカヤ塔の時計に命中し,これを止まらせ,士官候補生の機関銃を沈黙させた。
Copyright © 1969, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.