教育の時代
『教育者』の姿勢
徳永 清
1
1明治学院大学
pp.1
発行日 1969年11月1日
Published Date 1969/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908913
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「負うた子に教えられる」ということばがあるが,教育とは,まさにこのことばのとおりであって,教えることは,また,教えられることにほかならない。教える—ことのむずかしさは,すなわち学ぶ—ことの困難に通じるものであって,この両者の相関関係に徹することのできないものは,人の前に立って「教える」ことなど,とうてい,できるものでない。したがって教えつつ,学生から,学生のもつ真実について学ぶことなど,思いもよらないことであろう。
最近,急展開したステユーデント・パワーの激しい波濤のなかで,根本的に「大学教授の姿勢」が問いつづけられているのは,故なきにあらずの現象であると言える。大学教授というものは,その権威のかげに安座して,ずいぶんながい間,教育者としての本質を忘れた虚妄の地位に安住してきた。「大学教授」なる虚名の権威を背景にして,権威だけでモノを言う,人間性を喪失した教育に終始していたようである。教育という範疇のなかで,教育の創り手と,教育の受け手という相対的な共労者としての学生の地位を評価せず,いたずらに権威を振りまわして,単に与える教育,押しつける教育—という形で,みずからの権威を保守してきた。
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