M. T. ツルー設立による桜井女学校附属看護婦養成所廃止の経緯・1
米国プレスビテリアン歴史資料館を訪ねて
高田 みつ子
1
1国立西崎玉中央病院附属看護学校
pp.54-58
発行日 1989年1月25日
Published Date 1989/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908622
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はじめに
本誌の1986年6月号から9月号まで4回にわたり,「看護歴史講座」として<米国プレスビテリアンミッションの往復書簡にみる桜井女学校附属看護養成所の経緯>を連載させていただいた.最終回に,「今度はぜひニューヨークに行ってそこから便りを書きたい」と記した.それからちょうど2年が経過した.少しずつ準備を進めてきたが,一昨年(1987年)ついにニューヨーク行きが実現した.
今回はフィラデルフィア歴史資料館から直接得た資料で確認された部分から,桜井女学校附属看護婦養成所の設立者,M. T. ツルー(Maria T. True)が看護学校のために,予算をどのように獲得しようとしたかについて紹介したい.読者の皆様の率直なご批判をあおぎたい.
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