M. T. ツルー設立による桜井女学校附属看護婦養成所廃止の経緯・2
看護婦養成所の予算要求におけるプレスビテリアンミッション理事会との確執
高田 みつ子
1
1国立西崎玉中央病院附属看護学校
pp.116-119
発行日 1989年2月25日
Published Date 1989/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908632
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はじめに
1886(明治19)年,桜井女学校内に,ツルー(M. T. Ture)は独力で看護婦養成所を付設した.今回は,この養成所存続や建設のことで,プレスビテリアンミッション本部と,当時来日していた宣教師団の責任者や秘書との間にあった確執について,フィラデルフィア-プレスビテリアン-ヒストリカル-ソサイアティ(以下,歴史資料館と略す)のマイクロフィルム資料を参考に考察し,私見を述べていく.
ツルーがミッション本部のジレスピーに,看護婦養成のことで以下のような手紙を送ったのは,1887年11月28日である.私がフィラデルフィアの歴史資料館を訪ねたのは,1987年7月30日,ちょうど100年目にあたる.これも何かの因縁だろうか.
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