21世紀の看護を考えるルポルタージュ ホスピスへの遠い道—マザー・メアリー・エイケンヘッドの生涯・17
リヨン—パリ,そしてオテル=デューと市民ホスピス
岡村 昭彦
pp.104-111
発行日 1985年2月25日
Published Date 1985/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908069
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フランスの都市の良いガイドブック
ホテルはリヨン大学の近くにとった,ローヌ川沿いに建つ石造りのキャンパスの東側,パストール通りである.私はその中級のホテルに5日,近くの最下級の安宿に2日泊まった.中級のホテルが観光客で満員で,続いて部屋が取れなかったからである.
安宿では,私は金子光晴の“ねむれ巴里”の<リオンの宿>を思い出した.話は確か,金に困った金子光晴がパリに彼女を置いたままで,友人のSをリヨンに訪ねたが人違いで,その日本人労働者と結婚したフランス人の若妻が,金子の描いた美人画を100フランで買ってくれるという人情話だったが,私の脳裏によみがえったのは,窓のない金子の部屋の頭の上から聞こえてくる,若い女の啜(すす)り泣きであった.男と女の一組みである.私の部屋には窓があったため,いくらかは救われたので,金子光晴のように‘大将軍はすまし顔’という,大津絵を胴間声で歌い出さないで済んだのは幸いだった.
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