表紙の心・23
リヨンのオテル・ディユ病院—教会の入口
大村 敏郎
1,2
1川崎市立井田病院外科
2慶応義塾大学医史学
pp.1767
発行日 1989年11月20日
Published Date 1989/11/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407210558
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絹織物が有名で,古くからわが国と関係の深い大都市リヨンには,町の西側にフルビエールの丘という高台があって,そこから見下すと,ふもとには古いリヨン地区と呼ばれる歴史的な屋並みが見られ,その向うにソーヌ川が左から右へ流れている.それと並んで川の水こそ見えないがもう一本ローヌ川の両岸に並ぶ樹々が帯状をなして見える.ローヌ川はスイスからアルプスの水を集めて流れ出し,ジュネーブの辺ではレマン湖となり,南ヨーロッパを潤す豊かな流れである.2つの川は町はずれで合流してローヌ川となり地中海へ向う.2つの川に挾まれたローヌ川沿いの所にリヨンのオテル・ディユ病院が黒い姿でそびえている.
今の場所に定着したのは12世紀末だが,貧しい旅人や巡礼の援助のためにフランク族の王シルドベール(Childbert)が病院を作ったのは6世紀中頃で,パリのオテル・ディユより古いことがリヨンの人々の自慢である.
これは16世紀にフランソア・ラブレー(FrançoisRabelais,1494〜1553)の働いた病院であり,それらの歴史をとどめる博物館にはいろいろな興味ある展示物が集められている.
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