Medical Essay メスと絵筆とカンバスと・6
リヨン回想(1)
若林 利重
1
1東京警察病院
pp.776-777
発行日 1993年6月20日
Published Date 1993/6/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407901183
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リヨンを回想するときまず目に浮ぶのはパリーを発った飛行機がリヨンの空港に着陸する直前の眼下の景色である.高圧線を跨ぐようにして降下する機はさらに高度を下げて瀟洒な人家の屋根すれすれに飛んで滑走路に入る.空からみたのと同じようにリヨンは緑の多い美しい街である.
私がリヨンを訪れたのは1965年の5月半ばで,その主な目的はエドワー・エリオ病院(HôpitalEdward Elliot)でマレー・ギー(P.Mallet Guy)教授の手術を見学することであった.リヨンには古田昭一君(現・三井記念病院顧問)が3か月前から留学していた.彼はサン・ジョセフ病院(Hôpital St.Joseph)病院のマリオン(P.Ma-rion)教授のもとで心臓外科の勉強をしていた.東大第二外科の後輩であり,大学の踏朱会という絵の会で一緒にヌードを画いた画友でもある.日本を出る前に私は彼に手紙を出しておいた.ところが不思議なこともあるもので私たち美術の旅の一行がニースに着き,モチーフを求めて海岸を歩いていたときにばったり彼に出会った.彼は留学先の病院の医師数名と南フランスへ旅行にきていたのである.私は改めてリヨン滞在中のことを頼むことができた.
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