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「自分をコントロールできる学生を育てたい」
青木 康子
1
1都立北多摩看護専門学校
pp.65
発行日 1983年2月25日
Published Date 1983/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907780
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青木先生は東京の日赤病院で,戦後,他に先がけて褥婦への保健指導を始めた方である.昭和28年,日赤助産婦学校を卒業した先生は日赤産院に入った.当時は教育の場で保健指導の重要性は強調されていたし,保助看法にも明記されていたにもかかわらず,現場では保健指導はほとんど行われていなかった.
そこで先生をはじめ有志の助産婦が,夜勤明けの時間を利用してボランティアで保健指導を始めた.沐浴の仕方,腹帯の巻き方,妊婦体操から退院指導まで,母親たちに大好評で,産院としても正式に保健指導室を設置することになり,初代の担当者として先生に白羽の矢が立った.なんの手引きもない中で悪戦苦闘,目の回るような忙しさであったが,保健指導は徐々に完成していった.
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