論評
身体が思考する—“身体─東洋的身心論の試み”を読んで
湧井 由美子
1
1東京大学文学部大学院
pp.243-246
発行日 1978年4月25日
Published Date 1978/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907204
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I.‘伝統’と‘超近代’
最近‘身心関係論’や‘身体論’が,ひとつの流行ともいえる現象をなしている.それは,単に,特定の‘学問’領域を越え出て,広汎な人々の関心になりつつあり,単に理論であるだけでなく,禅やヨガ等々の実践も生まれつつある.それは,特定の‘学’内部に固有の問題関心であるというよりは,ひとつの文化現象である.
では何故,身体論なのか.現代哲学における身体論興隆の問題状況は,‘近代哲学の閉塞状況の打開’‘近代知の地平の乗り越え’にあるという.近代哲学は,‘精神’と‘物体’を二元的に分離することによって,物理学的・機械論的な世界観という新しい認識的地平を拓(ひら)いた.だが,物理学的・機械論的モデルによる諸科学と技術の発展は,資本主義的生産様式とあいまって,労働疎外や環境の破壊等々をひきおこした.ここに,‘近代知の地平’を乗り越え,‘超近代’へ向かうという問題状況が生じる.
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