人間と科学との対話
‘人間であること’の意味
村上 陽一郎
1
1東京大学教養部
pp.53-57
発行日 1977年1月25日
Published Date 1977/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907060
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この連載の第1回で,私は‘病気’を‘苦しみ’として定義した.言い換えれば,患者の‘身体的異常’としては定義しなかった.それは1つには,患者の‘身体的異常’は治癒しても,患者の苦しみは増した,というような‘治療’は,治療としては必ずしも成功したとは言えない,という点があるからである.第2回では,医学が,そうした患者の‘苦しみ’を取り除く,という大目的を前提として成り立っているのであって,その目的論が崩れるとき,医療行為ほど‘危険’なものとなる営みもまた少ない,と指摘した.
しかし,このように考えてみると,当然起こってくる疑問がある.患者というものはそれほど‘絶対’なものであろうか.看護婦さんたちが日常接している患者は,ともすればとてつもなく我がままで,自分勝手で,しかも一貫性がない.今,何が欲しいと言ったかと思うと,それをもって行くころにはもう要らないと言う.痛みが激しいときには,もう死んだほうがましだ,とわめき散らすくせに,少し痛みが和らぐと,無理難題を周囲にふっかける,といった工合である.
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