私の病棟日誌・1
生と死のあいだで
日下 隼人
1
1東京医科歯科大学医学部小児科学教室
pp.49-52
発行日 1977年1月25日
Published Date 1977/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907059
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私は京都で育ち,今も両親が京都にいることもあって,しばしば東京と京都の間を新幹線で往復するけれども,あの新幹線の列車が発車の時,ドアが閉まる感じがなんともいえぬいやなものに感じられる.乗客である私は,それなりに快適な座席に座り食事をしたり(それにしてもあの食堂の料理はおいしくないけれど)できるのだけれど,ともかく3時間の間,私はあの周囲の世界とは無縁にただ高速で走っていく密室の中から1歩も出られない(昔の汽車は走っていても窓も開いたし,生命の危険さえ覚悟すればいつでも扉が開いて飛び降りられたのだ).その3時間に関する限り,私の人生は‘外’の世界とのかかわりを断たれたその箱の中でしか展開しえないのである.
どうも私の生息している医者の世界というのは,このドアの閉じてしまった新幹線の中のような気がしてならない.私たちはとくに逆らわぬ限り,この閉ざされた世界の中で,その世界に特有の(言い換えればその世界の中でしか通用しない)価直観に従って周りを見,つきあい,生き,泣いたり喜んだりしているのだろうと思う.昔から‘井の中の蛙’という言葉があるけれど,医者の場合その当人たちのいる閉ざされた世界—その世界の価値観が優れたものであるかのように考えられがちである点で,自らの乗る列車が公害を撒き散らしていることをほとんど感じずに下の家々(に住む人々)を見下ろす乗客たちを乗せて走る新幹線になぞらえたほうがふさわしいようだ.
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