巻頭言
歴史をまなぶことの意味または無意味について
岡田 靖雄
1
1精神科医療史研究会
pp.344-345
発行日 1997年4月15日
Published Date 1997/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405904304
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精神科医療史への志をたてた(といえる)のは,1963年夏に松沢病院の栄養士鈴木芳次さんにみせられた呉秀三・樫田五郎『精神病者私宅監置ノ実況』(内務省本)に,“我邦十何万ノ精神病者”云云のことばをみいだしたときであった。翌年にこのことばは精神衛生法改悪反対運動の旗印となった。しかも,この私宅監置調査にくわわった1,2の先輩と金子準二さんとをのぞいては,この論文をしる人はいなかった(このことは日本の精神病学の病根の深さをなによりもしめすものであろう)。歴史の光をあてることで日本の精神科医療の構造がうかびあがってくる,医療改革運動の基礎にも医療史探究がおかれなくてならない。わたしたちの歴史探究は実学的方向をもつものであった。
日本の精神科医療・精神医学の歴史では,わすれられているもの・無視されているものがおおすぎた。呉・樫田論文はもとより,島村俊一「島根県下狐憑病取調報告」(1892〜93),関東大震災時の精神科医の活動もそうである。内務省資料には1927年以前の精神科総病床数は記録されていないが,それはほぼ推定できた。
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