教育思潮
高等学校衛生看護科の性格
山崎 昌甫
1
1和光大学人文学部・人間関係学科
pp.383-387
発行日 1976年6月25日
Published Date 1976/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906999
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Ⅰ.学校教育法第1条校のもつ意味
看護教育機関を学校教育法第1条で規定する学校にしていこう,という方向が明確に打ち出されたのは,昭和38年に医療制度調査会が厚生大臣に対して行った‘医療制度全般についての改善の基本方策に関する答申’てあった,だが,この時までに学校教育法第1条に基づく学校がすでに,4年制大学2校,3年制短期大学4校,合計6校設置されていた.高等学校における看護教育は,周知のように,上記答中が出された翌年の昭和39年に神奈川県立二俣川高等学校の新設によって始まる.あえて言えば,答申は高竿学校の衛生看護科の新設とその振興を主としてねらったものである,といってもいいだろう.もちろん,高等学校衛生看護科ないし衛生看護高校は当然のことながら,大学・短期大学も急速に増加しているのであるから,高校衛看が本命であったとだけいうのは,正確さを欠くかもしれないが.......
ところで,学校教育関係者が看護教育に注目し始めるようになるのもこのころからである.特に昭和47年に准看護婦学校・養成所が技能教育施設として認定され,高等学校との連携制度の一環に組み入れられるようになってからである.それまでの認識は,中学校の教師であれば,進路指導にあたって高校進学者ではなく,就職希望者のなかに看護婦志望者がいれば,彼女を‘看護学校’に世話するという程度のものであった.
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