教育技術ゼミ
授業目標の妥当性(その2)
沼野 一男
1
1東邦大学
pp.44-45
発行日 1968年1月1日
Published Date 1968/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905965
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前号では,授業目標の妥当性は,必要性と可能性の2つの次元から検討しなくてはならないということを述べた。授業目標の必要性は,理想の看護婦像あるいは看護学校卒業時における学生の理想像との関連できまることである。ここで,理想の看護婦像あるいは卒業時における学生の理想像というように並べて書いたのは,単なる言葉のいいかえではない。私としては,この2つは別のこととして考えなくてはならないと思っているし,看護学校における授業の目標やカリキュラムを,必要性という視点から検討する場合には,理想の看護婦像ではなくて,卒業時における学生の理想像をこそ重視すべきだと考えているのである。
もちろん,卒業時における学生の理想像は,理想の看護婦像との関連できまってくるものである。しかし,この2つは区別しなければならないのである。その理由の1つは,理想的な看護婦は,看護学校の教育によってだけ作られるものではないということである。理想的な看護婦の形成には,看護学校の教育の成果に加えて,現職教育,現場における人間関係,実務経験,自己の努力等々,さまざまの要因が働いている。このことはあらためていうまでもなく,看護学校を卒業したての学生が,理想の看護婦でありうるなどとは,実際に誰も考えるものはないであろう。
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