教育のひろば
投影のいましめ
黒田 正典
1
1東北大学教養部
pp.37
発行日 1968年1月1日
Published Date 1968/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905962
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投影というのはプロジェクションの訳語で,また投射ともいわれる。映写器を意味するプロジェクターと同系統の語である。プロジェクターにスライドを入れると,スライドの中の図が何もないスクリーンに映しだされる。これと同じように,人は自分の心の中に不愉快(または愉快)な感情があると,無関係の人や物にも,その原因があるように感ずる傾向をもつ。このような現象がプロジェクション,投影である。自分が職場で叱られる。すると家に帰ってきても,今日は特別に子どもたちがうるさく騒ぐように思う—子どもたちは平常と変らないのに……これは投影である。投影によって,亭主は無関係の妻君をどなりちらす。わけもわからずどなられた妻君はおもしろくない。長男を叱りとばす。長男は次男を,次男は末っ子を叱りとばす。末っ子はやむなく犬を蹴とばす。犬は猫にとびかかり,猫はねずみに食いつく,……まさかそうもなるまいが,ともかく家の中が騒然となる。これ,投影の罪である。
わたしは小学校から大学にいたるまで数多くの先生に教えられた。その間に何度も痛感したことは先生とは—わたし自身も今はその一人になったが—不思議なものだ,ということである。何が不思議かというと,得体の知れない機嫌・不機嫌を示すことである。その原因は,朝家を出るとき奥さんと喧嘩したとかなど,何か家で不愉快なことがあったためではないかと思われる。いずれにせよ。入つ当りされる生徒こそいい迷惑である。
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