看護学校のあゆみ 九州大学医学部附属看護学校・2
若葉会の発足と「若葉」の創刊
鶴 ことみ
pp.46-50
発行日 1968年1月1日
Published Date 1968/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905966
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会創設に貢献した吉田トメ姉
九州大学看護学校の学生および卒業生の会として「若葉会」があり,その同窓会誌に「若葉」がある。ここに「若葉会」および「若葉」を紹介するとともに,創設,創刊より,その発展にご貢献下さった故吉田トメ女史についても述べてみたいと思う。
女史は黒田藩士の五女として生れ,国学者小金丸金生先生の下で和歌,和文,漢学,女徳の書や,文学書技を修め,25歳の時福岡県立病院の第二回生として入学,大森院長は入学当初からこの優秀な新入生に目をつけられ,他の2人とともに東京赤十字病院に内地留学を命ぜられ,明治32年留学を終えて帰ってきた3人を看護婦長に任じ,また院長は寄宿舎の取締まりにも貞淑のほまれ高い坂田正穂刀自を用いられ,看護婦教育に一層力を注がれるようになり「この病院の看護婦を,世界一流の者にしたい」と自ら先頭に立って指導され,当時一般の看護婦の社会的地位は低かったが,院長は新任の医局員に「ここの看護婦はよその者とはちがうけん,丁寧な言葉で話して下さい」と注意され,その医員ははじめは不思議に思うがしばらくすると「なるほど」とうなづくほど看護婦も皆よく勉強し,品位を保ち,名誉を重んじ,院長の期待にそうよう努力をしていた。
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