特集 クラブ活動をどうするか
新サークル論—クラブ活動の底辺として
荒瀬 豊
1
1東京大学
pp.2-6
発行日 1964年2月1日
Published Date 1964/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905233
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一人でははじまらないクラブ活動
サークルについて考えるということは,仲間について考えることにほかなりません。サークルには規約とか規則がかならず必要というわけではない。目的ということから言っても,趣味であろうと,学習的なものであろうと,社会的な活動を目ざそうと,とくにこれでなければならないという,制約はないわけです。ただ,仲間がいなければサークルは成り立たない。一人だけのサークルがありうるでしょうか。絶対にありえないとは言いきれません。たとえば「ジキル博士とハイド氏」がある目的のために話合い協力し合う,ということがあれば,これはまさに一人のサークルということになるでしょう。しかし,残念なことに,スティヴンソンの小説の主人公は,ジキルであるときにはハイドの意識は失われてしまっているし,ハイドのときにはジキルは消えてしまっているのですから,二人が協同して仕事をするチャンスはありません。やっぱり一人でサークルを名のることはむずかしいようです。
サークルは,二人から始まる,と考えてよいでしょう。「我等の仲間」は二人の結びつきから始まるのですから。たとえば,ザ・ピーナッツをはじめとする合唱のグループの活動のなかには,サークルとしての問題があります。喜劇のコンビやトリオは,それぞれの歴史のなかで,チームの結びつきを発展させてきています。二人のサークルとしてもっともすばらしい伝統をつくりあげているのは日本の漫才でしょう。
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