連載 生活空間論 生命のみなもと・11[最終回]
エピローグ
外山 義
1
1京都大学大学院・居住空間工学講座
pp.1056-1059
発行日 2001年12月25日
Published Date 2001/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663902649
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この連載も今回で最終回となった.
「生活空間論」というテーマで,高齢期を生きる人間にとっての建築空間や物理的環境が持つ意味,ケアや介護において物理的環境が果たす役割について,筆者の考えるところを述べてきた.今,1年間綴ってきたテーマをざっと振り返ってみて思うのは,どのような形態の施設であれ,高齢者が,そこで「自分自身になれていること」の重要性である.
心身の機能は衰えても,「自分の人生の主人公は自分であり,それは他の誰にも代わってもらえないし,自分の人生は自分で引き受けていくしかない」という自覚である.読者の皆さんの中には,ほとんど介護苔のケアや介護に支えられて日々が成り立っている重度の高齢者にとって,人生の「主人公」もないだろうと思われる方もおられるだろう.しかし,たとえ自分では寝返りを打つこともできないほど身体機能が衰え意識が弱くなっていても,自分の欲求や願いに応えてくれる人や環境が用意されていれば,「自分であり続ける」ことが可能であると私は思っている.
実際私は,調査で出会った中で,「死に時は結局のところ本人が決めたんだなあ」としか思えないケースを数多く知っている.
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