特集 医療事故と看護教育
教育に感性を取り戻すこと―気づくためには感じなくてはならない
榛葉 由枝
1
1天竜すずかけ病院
pp.832-835
発行日 1999年11月25日
Published Date 1999/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663902141
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流されてはいけない人の生命
「医療事故をなくすには,教育はどうあったらよいか」重いテーマを前にして呻吟しているところへ,豪雨で増水した川の中州に取り残された人々が,濁流に飲み込まれていく事故のニュースが飛び込んできた.それでなくてもこの時期は,交通事故や水の事故が急増する.いずれの事故も楽しみであったはずの時間を,たちどころに悲しみの深淵に引き込み,痛ましい事態に一変させる.その度に原因や誘因が分析され,再発防止の対策が検討されるが,有効な歯止めにはなりえていないのか,同じような事故は繰り返される.
今年に入り次々と報道された医療事故も例外ではない.人々が求める正常な医療活動とは,疾病の治癒を目標とする高度先進医療の役割への期待である.医療事故は,受け手の側に大きな損失を与える.原因のいかんを問わず,事故はあってはならない.全国各地で医療事故が続発し,報道される度に,同じ医療現場にある看護職者として,また患者や患者家族を体験した者として身の縮む思いである.またベッドサイドでの役割が多い看護職が,当事者として事故に遭遇し,時には看護婦の過失だけが事故原因であるかのようにいわれることには義憤も感じる.
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