連載 優れた“わざ”をどう伝えるか 技術の「背後にある意味」を教える・8
看護技術における工夫の意味 授乳
阿保 順子
1
1北海道医療大学大学院看護福祉学研究科
pp.692-697
発行日 2017年8月25日
Published Date 2017/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663200816
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医学の進歩と経済を主流にした昨今の医療状況は,臨床看護に「診療の補助」的行為の比重を高め,「療養上の世話」という日常生活援助行為の衰退をもたらした。医療も看護も,プロセスではなく結果に価値が置かれるようになった。そんななかで看護技術は,効率が悪いものは廃止され,器具機材で代替されるという道を辿っている。効率を追求する社会だからこそ,看護はそれを優先してはならない。複雑化する検査や治療というCureは,密度の高いCareを必要とする。
看護は,医学的にはどうしようもできない人々の安楽とか,通常の発達過程をたどれない子どもたちの育ちや,病気と老いの二足のわらじを履かねばならない高齢者を支えるものでもある。そういった人々への看護は単純ではない。看護の目標すら簡単には立たない。たとえ目標は立ってもそこに至る方法がわからないということもある。だから,そうした状況下での看護には多くの工夫が凝らされている。工夫という言葉は,トライ&エラーを表わす試行錯誤よりはやや軽く,やり方のちょっとした変更というイメージがある。また看護過程が幹線道路だとすれば,工夫はバイパスのような,定型的思考パターンとは多少異なる回路をもつ。何がどうなっているのかを論理的に考えるというよりは,こうしてはどうか,ああしてはどうか,まずはやってみるという,身についている反射的行動のようなものである。
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