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生きられた経験を見つめる
私が現象学に関心をもち始めたのは,看護師になって少し業務がわかりかけた頃だったと思う。当時私は,心臓手術後に,意識障害を伴ってしまった人を受け持ち,血圧や脈拍測定といった観察を中心にした看護を行っていた。生命の危機があり,異常の早期発見が優先される状況であるのだが,私には,「その人とかかわっている」という実感が得られず空虚さが拭えなかった。その模索の途上で出会ったのが,現象学である。現象学を学ぶことを通して,その人を分析的に見る因果関係的な視線ではなく,その人の状況において生きている意味を見出す生きられた経験(lived experience)へとその視線は促された。そして私は,その人との関係において,観察する側とされる側とに世界が隔てられていたことを自覚したのだった。紙面の関係上,詳細は他に譲るが,このような,自分の志向性が明らかとなる出来事は,いわゆる現象学における術語の当てはめや,その言葉を用いれば起きるのかと言えばそうではない。自らの看護を記述することで,思索的な問いとは異なる次元の,私たちの生きられた実践へと向かうことが可能になる。
患者と看護師の関係において為される看護実践は,看護師が患者の苦しみや痛みといったその人が置かれている状況に即応する形で,その人にあった看護を紡いでいく動的過程である。それは他者とのかかわりを前提としており,看護師が患者を含めたその状況を,身体を通して感受し援助として相手へと差し出していくものであるが,こうした営みを振り返るには,われわれの生きられた実践を生き直すために,諸々の現象それ自身が現れるがままの姿で出会おうとする経験において,先入見の型へと押し込めないようにする1)現象学的な態度が道標となる。看護学生(以下,学生)は,看護学実習を通して,このような看護実践を学ぶわけだが,そのとき,私たち看護教員(以下,教員)は,どのように学生をまなざしているのだろうか。
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