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はじめに
授業を「おもしろく」しなければいけないそうである。小学校や中学校ならまだしも,大学でもそうだというのだから驚きだ。あのサンデル先生の「白熱教室」ブームも一役買っているのだろう。参加型,討論型の授業にしなければいけないと言われ,アクティブラーニングなんてカタカナ語も耳にタコである。
私は,東北大学の文学部で,文化人類学を教えている。5年ほど前から,主に2年生対象の「文化人類学概論」という講義を担当しているが,いつも学期の初めに「つまらない講義をします」と宣言することにしている。まず「講義なんだから,つまらなくて当然でしょう」と言う。「おもしろくて楽しかったら,講義じゃないよ」とも。そして「講義の意味を知っていますか?」と問いかける。広辞苑によると,講義とは「学問研究の一端を講ずること」である。今時の学生には,「講ずるって意味わかる?」と聞かなければいけない。「わからなかったら,辞書引きなさい。はい,電子辞書出して!」と続ける。ここで,「講義に出るときは,必ず電子辞書を持ってきなさい。聞いていてわからない言葉があったら,すぐ引けるようにね」とも言わなければならない。再び広辞苑によると,「講ずる」とは「書物や学説の意味を説く」ことである。三省堂の新明解国語辞典の見出しは「講じる」と現代語化していて,「学問上の対象となる事柄を,自分の解釈や論理に従って説く。講義する」と説明している。辞書の定義を説明したうえで,次のように話すことに決めている。
だから,この講義では,文化人類学の対象となる事柄について,私の解釈や論理に従って,私がしゃべりたいことをしゃべるわけです。すべての事柄についてしゃべる時間はありませんから,私がもっとも重要だと思っている事柄について,私が今考えていることをしゃべります。つまり,私がおもしろいと思っていることをしゃべります。それを,おもしろいと思うか,つまらないと思うかは,皆さんの自由です。
私は,ボソボソしゃべります。考えながらしゃべるからです。皆さんに向かってしゃべることは,私にとっては考える作業の一部です。今まさに考え中のことをしゃべるので,そうなります。それが,広辞苑の言う「学問研究の一端を講ずる」ということです。
授業題目は「概論」となっていますが,概論はしゃべりません。概論を知りたければ,教科書的な本を書店か図書館で探して読んでください。本に書いてあることは君たちが自分で「読めばわかる」のですから,そこに書いてあることを,わざわざ私がしゃべって聞かせることはないでしょう。どこにも書いていないことを,私はしゃべります。繰り返しますが,それを,おもしろいと思うか,つまらないと思うかは,皆さんの自由です。
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