特集 今できる限りの質の高いサービスを—武生市にみる保健所と市役所の連携から
手記
私達を支え続けてくれる保健婦さん
加藤 千代子
1
1肢体不自由児親の会
pp.849-850
発行日 1979年11月10日
Published Date 1979/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207877
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一度は死を考えた
私は15歳になる肢体不自由児を持つ母親です。この子が誕生して3歳になるまで,なんとか治す方法はないかと,いろいろと病院めぐりをしました。4歳になって機能訓練の必要を知り,県立A整肢園に通園を開始しました。しかし,家庭内では障害児を生んだことで,姑,小姑との間にトラブルの絶え間がありませんでした。時にはあまりの苦しさに"死"を考えたことも幾度かありましたが,保母の職を持っていたので,この苦しい気持は園児によって支えられました。その後15年経過した現在では家族の理解もでき,障害児を中心に考える生活に変わってきました。
この間私は,"障害児でも心の明るい子供に育てたい"という一心で努力してきました。こうした私の気持をしだいに姑にも理解してもらえるようになってから,我家もようやく明るい家庭となっていきました。この原稿を書くに当たり,現在が幸せであるだけに,苦しかった当時を思い出したくない気持との狭間で,大分ためらったのは事実です。
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