第2特集 看護学生論文─入選エッセイ・論文の発表
エッセイ部門
【柳田邦男賞】春風
矢部 江美子
1
1独立行政法人国立病院機構呉医療センター附属呉看護学校3年
pp.684-686
発行日 2013年8月25日
Published Date 2013/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663102467
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「そんな病気があるんよ」。先生は大きい目をさらに見開いてそう言った。高校3年生だった私も目を見開いて先生の話を聴いていた。身体がだんだん動かなくなる一方,心そして感覚は感じることを許される筋ジストロフィーという病をそのとき初めて聴いた。全身の筋力低下により歩けなくなり,物を持てなくなり,しゃべれなくなる。それでも心の声はもち続けることができ,瞬きをして心で景色を感じることもできる。その話を聞いたときの衝撃は今でも覚えている。何気なくする瞬き一つでも患者さんにとってはメッセージかもしれないということ,瞬きという声や言葉で飾らない,まるで心そのままで会話をするような世界があるということ。海の見える進路指導室で夕日が差し込む窓の外を眺めながら,これから出逢う私の知らない世界がまだまだたくさんあるのだと感じたのは3年前の初春のことだった。
それから,2度目の桜が病棟の敷地内に咲いた頃,私は一人の筋ジストロフィー患者,A氏と出逢った。ピンク色のシャツを身にまとったA氏は笑顔で私のことを受け入れてくださった。母が洗濯して持ってきてくれたというそのシャツの色は,世界で一番優しい色をしていた。電動車椅子で廊下を走られているとき出会ったA氏と共に廊下の窓から外を眺めると桜がみえた。薄紅色の花びらが,風に吹かれながら地に落ちまいと揺れていた。ゆらゆら,ゆらゆら。まだ冷たい風のなか初対面の緊張感はだんだんと溶けつつ,暖かい風が心のなかに吹いたような時間だった。A氏は病により,筋力低下が進み,顔面・手首・手指・足首・足の指のみ自由がきく状態でありながらもいつも笑顔で,職員や他患者から慕われている存在であった。
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