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クリティカルシンキングはよりよく生きる力で看護学生にも教師にも必須
私たちは,うまく生きていきたいと思えば,ここぞというときに,知らず知らずのうちにクリティカルシンキングを発揮している。たとえば,「年をとってきてひとりは寂しいから,犬か猫か何か動物と一緒に暮らしたいな~」という場面で,果たしてあなたは,衝動的に犬か猫を手に入れるだろうか? 自分が生きている間に看取ることはできないから,一緒に暮らしたいけど我慢しているという人もいるだろう。一方で,「手がかからないし可愛いよ」と知人が譲ってくれたからと衝動的に大きな犬を飼い始めたが,無理が生じて捨ててしまう人もいる。この判断の違いはどこにあるのだろうか。答えはおわかりだと思うが,犬を捨てた人には「クリティカルシンキング」力がもっと備わっていればよかったのに,と思うわけである。その人は言うだろう。「だって,この犬は手がかからないと聞いたから」「だって,犬がとても好きだから,そのときビビビッときたから」などと。これらの表現から推察すると,その人は,「正しい情報の吟味に基づいた効果的で効率的な判断」に課題があると考えられる。
クリティカルシンキングの定義はさまざまあるが,Ennis1)は,「推論過程において適切な基準や根拠を意識的に吟味し,何を信じて行動するかの決定に焦点を当てた省察的思考である」としている。賢い人は生活上でも意思決定や問題解決のためには,人の話を聞いたり,書物やネットで調べたりして必要な情報をまず明確にするだろう。「犬は“手がかからない”と聞いたが,具体的に何を食べどのような飼育設備が必要なのか」などと「犬と暮らす」という明確な目標に照らして,正確な情報を得るために元飼い主とも話し合うだろう。そのプロセスでは,たとえば話し手の「とにかくもらってほしいから『手がかからないから』といって押し付けたい」などという本心に気づくことができるようなコミュニケーションを成立させ,ただの意見と事実を判別し情報分析して評価することもできただろう。そして,これまで「犬」の飼育経験はないが,果たして自分に「犬」の世話ができるか,もし自分が先に他界したあとどうするのか,などを想像したうえで選択し,行動を決定していれば,他人や犬に迷惑をかけるような行動をとらずに済んだかもしれない。
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