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はじめに
ぼくは,人工呼吸器に強い思い入れがある。今までの30年の臨床の現場のなかで,患者さんに装着した人工呼吸器が動く場面はそれぞれに鮮明に覚えている。
臨床が大好きな内科医のぼくは,総合病院勤務の20年間で,救急医療から神経疾患のケア,終末期医療と,何でも興味を持って臨床医として叩き上げてきた。一般病棟でICUと同じ機種の人工呼吸器を患者さんに装着したのも,高松赤十字病院ではぼくが初めてだった。悩みながらも,家族も含めて看護師さんたちと一緒にみんなで頑張った一つの時代だった。
今年,郷里の病院に入院中の父を見舞った。ドアが開きっぱなしになった,無造作に人工呼吸器が動いている病室があった。ぽつんと意識のない患者さんだけがいるのを見て,これが時代なのかとも感じた。また,自分なら今どんなふうに人工呼吸器を使うだろうかと思った。
そんなときに,射水市民病院の事件を新聞で知った。まず思ったのは,報道では伝わらない現場の思いがあるはずだということ。そして医療の現場では,「珍しいことではない」とも思った。救命救急外来は別として,急変(それも十分に予測されている)時にそれまでの淡々とした医療行為が,急に点滴だの人工呼吸器だのと言い出す滑稽さを,ぼくは冷ややかに見てきた。その後には,いつはずすかの問題が起こってくるのは当たり前である。自然な流れのない終末期医療は,患者さんや家族を巻き込んだ迷惑そのものだと思ってきた。
静かな最期は自然でいい。今,ぼくの関わる在宅での最期はそれはそれは穏やかで,家族から満足の声を聞く。「在宅死は最高のぜいたく」と,ぼくはいつも言う。いのちの最期まで頑張るなら頑張る,見守るなら見守る,この一貫した態度は大切だと思う。といっても,なんでもありなのが現場である。話し合ったようにいかぬことも,しばしばではあるが……。
四万十川のほとりの無床診療所のかかりつけ医となっても,最近のことでぼくが最も熱くなったのが人工呼吸器のことだった。本人が望み,家族も希望して人工呼吸器を装着した。そして,在宅が始まった。半年後,家族の疲れもあって一時入院することとなった。それからの退院がなかなか決まらない。本人は帰りたい。しかし,意見がまとまらない。預かってもらった病院も長期になり困ってきた。ぼくは,主治医ではなく相談にのるコーディネーターの役をしていたが,ケア会議の席で発言した。「最初の気持ちはどこにいった」と,方向を変える激しい話をした。「人工呼吸器がついているいないは,大きな問題だろうか。家で生きたいというのが,本人の本当の気持ちではないか」と話した。生きることを支える意味での人工呼吸器をぼくは常に意識しながら,医療の現場で過ごしてきた。この患者さんは,その後8か月間無事に在宅が続いている。
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