特集 射水市民病院の人工呼吸器取り外し問題が提起したこと
誰のための終末期医療か
梶山 シゲル
pp.780-783
発行日 2006年10月1日
Published Date 2006/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663100365
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はじめに
そのニュースを聞いたのは,ちょうど夕食時だった。テレビの画面には,富山県射水市民病院の前に集まる大勢の報道陣と,事件の詳細を早口で伝えるレポーターが映っていた。妻と二人,しばし箸が止まったままニュースに聞き入り,そのまま何となく言葉少なに食事を終えたのを覚えている。「医師が死を前にした患者の人工呼吸器のスイッチを切った……」。こういう話を耳にすると,自分はいつも出口の見えない議論を挑まれたような不安を覚える。
安楽死・尊厳死など「死の迎え方」という問題は,筋ジストロフィー症という病気のある自分にとって,テレビの向こう側のニュースや出来事ではない。同じ病気で臨終を迎えた多くの仲間の顔を甦らせ,同時に確実に進行を続け,呼吸もままならないわが身体の行き着く先で考えねばならないきわめてリアルな現実である。
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