特集 北海道開拓保健婦の足跡
住民と共に生き,共に働き……
思い出
人間性のある仕事だった
遠藤 きね
1
1標茶保健所
pp.31-32
発行日 1982年1月10日
Published Date 1982/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206464
- 有料閲覧
- 文献概要
広々とした草原で草食む牛,赤い帽子をかぶったサイロなど牧歌的な北海道を夢見て,東北から北海道に,昭和31年春まだ浅い4月半ば,釧路支庁拓殖課の開拓保健婦として,厚岸駐在南片無志開拓診療所に勤務となった。あれから20年余り,思えば道らしい道もなく,原始林の真ただ中へ,機動力もなく,徒歩でしか行けなかった。1日10Km,20Kmと歩いて足の裏に豆ができ,泣きながら歩いた思い出。冬季の夜中に,馬橇りで病人の迎えがあり,馬橇りに乗った思い出(寒さのためかちかちになったこと)。医療に恵まれない地域の人々は,診療所だけを頼っているのか,病気,助産と,必然的ななりゆきからやり続けた。
昭和39年には釧路村東遠矢開拓診療所に転勤。苦難な道路やランプ生活から解放され,天気の良い日は50ccオートバイに乗って目的地まで訪問できたが,雨降りになると排水溝がないため泥水のトンネルに入り,泥だらけになってしまった。母と子の集りといった方がすっきりするような婦人会の集り,おべんとう,つけものを持ちより,畑から収穫した野菜(いも,人参,大根)で油を使った料理の講習会,今思い出してもおいしく,忘れられない味である。食べながら家のこと,夫のこと,こどものことを笑いながら話し合ったものである。また,重病人で最後の瞬間まで精一杯努力したけれど亡くなったとき,はたしてどれだけのものが私に残されたのか,走馬灯のように脳裡をかすめる。
Copyright © 1982, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.