医道そぞろ歩き—医学史の視点から・4
苦しんでいる人間性への配慮
二宮 陸雄
1
1二宮内科
pp.1446-1447
発行日 1995年7月10日
Published Date 1995/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402903771
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フランスの医師ピネルが精神病者を鎖から解放したのは,今からちょうど200年前のことです.そのころ日本では,杉田玄白らが「解体新書」を出版していました.
パリのノートルダム寺院から東に少し車を走らせると,サルペトリエール病院があります.この病院はもとはルイ十三世の建てた弾薬のための硝石(サルペトル)の製造所でした.1656年以来,ルイ十四世の命により浮浪者や貧民を収容する巨大施設となり,精神病者も加えて,そのころ6,000人もの人を収容していました.パリにはもう一つビセートル救済院があって,犯罪者や精神病者を収容していました.2つの救済院で毎年400人くらいの精神病者が新たに収容されていたのですが,彼らは鎖でつながれ,拘束衣でしぼられ,暗い部屋や狭い檻に閉じこめられ,回転装置で沈静させられ,痙攣する者は棒でなぐられていたのです.医者でなく獄卒が監理し,「ケダモノども」と呼んでいました.
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