特集 保健婦とユニホーム
私にとってユニホームとは
自己の判断で制服を脱ぐことも
宮内 清子
1
1愛媛県大洲保健所
pp.548-550
発行日 1975年9月10日
Published Date 1975/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205634
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制服を着た頃
昭和40年4月27日:初めて担当のY地区へ結核患者訪問に。訪問計画も立てた。医師連絡もした。"右上葉切除後再発,左肺上野に空洞有,G4号"当然安静にしていると思った患者が苗代作りに汗を流している。「保健婦さんは入院入院って言われるけど,だれもこの田を作っちゃくれないし,家族を養ってもくれませんからね。」入院の必要性を懸命に説いている時,彼は遠くを見ていた。何一つ受入れられはしなかった。
意気消沈して役場まで帰ると,町の保健婦さんが,「さっきT地区の婦人会員の人から,見たことない保健婦さんがカブで通ったって,問いあわせがきたよ」と言われる。初めて出た地区で,もう見られていたのだろうか。制服を着ていることで,訪問カバンを持っていることで,一目見て保健婦と知れるなんて,うれしいけれど恐ろしい。
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